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3人の若手女流書道家のそれぞれと書道理論とその優劣の???

2010/03/14 22:59

 

3人の若 手女流書道家のそれぞれと書道理論

週刊新潮の「結婚」という欄に書道家「矢部澄翔」と言う記事が掲載されていた。この矢部澄翔氏も芸能人か文化人並かと改めて思う次第である。
最 近耳にした話では、「秋、酒蔵にて」と言う部分で「群馬県前橋市にある山賀煉瓦倉庫‥‥」と前橋まで来橋したと言うことであった。
実際、群馬篆刻 協会会長の阿部先生に案内状を見せて貰ったために、結構記憶にあるものである。
Img387
この矢部澄翔氏というのは、プロフィールを見ると‥‥日 本教育書道藝術院同人 審査会員とか、東京書作展(東京新聞主催) 委嘱とか全くメジャーではないところに所属する書道家である。
東京書作展が、 毎日書道展の維持団体である「東京書道会」とは一切関係がないというのは、東京新聞主催と言うところからもよく分かるが紛らわしいものである。
又、 東京書作展が今年で32回(2010)と言うところから見ると、読売書法展が27回目になることから戦後の書壇の歴史からはほとんど外れている団体である らしい。
しかし、書作品を見てもある程度のレベルに達している事は間違いない。
それは、HP上の雅印を見てもよく分かることである。
兎 も角、慶事なのでおめでとうは言っておこう。
Img388 Img386
一方、上毛新聞3/9に「黒を撮る」と言う特集があった。
この中で「書道家・木村怜由(36)東京 都」が「黒を語る」として一文を載せている。

「すべての感情 表現できる
人の心に響きわたる色だ。すべて の色の要素を備え、どんな色にもたどり着く。情熱、静寂、光-
白と黒で成り立つ書の世界にも無限の色彩が存在する。
白は何ものにも染まら ない、いわば神の色。そのように純粋でありたいと思っても、人はエゴや葛藤を抱える。誰もが持っている闇の部分をも許容するから、わたしたちは黒がいとお しかったりするのだろう。
人の心にスッと入り、すべての感情を表現することができる。「ことば」を届けるのは墨の黒がいい。
わたしは、こ の色ひとつで世界に行ける。」

この文章を読んで「なんだこりゃ」と思ったのは、散文詩的だったからである。
逆 に言えば、全く文章になっていない。何か書いてあるのか今回新聞紙面から抜き出して初めて分かったというのは笑えない冗談である。
さて、書道家・木村怜由氏というのは、初見で全く知らなかったの だが、群馬県伊勢崎市出身などと新聞に書いてある。
プロフィールを見ると‥‥創玄書道展一科秀逸受賞とあって、創玄書道会準会員らしいことが分か る。毎日書道展 詩文書部 6回入選、プラス秀作入賞歴ありというところ。
だから、毎日展では会友にもう一歩、創玄展ではその上に審査会員、二科 審査会員、一科審査会員、役員作家とまだまだ見透しが付かない状態でもある。
近代詩文作家だから、それなりの書作品は書けるようだが先日までの創 玄展を見に行きながら、実際の作品を見損なったから何とも言えない。
しかし、あまり淡墨を使わない書作家に墨の話を聞いても繊なるかなと言うもの である。なぜなら、近代詩文書作家のかなりの作家が、墨滴を使って固形墨のなんたるかを知らない事が多いのである。
但し、最近の墨滴というものは かなり良いものが多く、元々の古墨・固形墨をすり下ろした様なものまである。こんな場合では、近年の質の良くない固形墨より何倍もマシなのである。
い ずれにせよ、このレベルの書道家に墨に関して書かせるというのも酷であろうと思う。実際、見てみると書の理論に通じてる先生というのは少なく、結構自らの 感覚で書いている先生方が多い。
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だから感覚を伝授するというのはかなりの修行を必要とするというものである。
丁度、坂本龍馬が江戸に出て、北辰一刀流の千葉道場に入門し た。この理由は、北辰一刀流ならば5年10年修行をしなければならないところが、3年足らずで修行を終えると言う当時の流行だったからである。
そ の理由というのは、今で言えば剣道の上手くなるマニュアルを作ったからに過ぎない。

さて、3人目とはあの「優れた書家とその作品をたたえるために創設された」手島右卿賞第5回受賞者である。
誰でも知っている「龍馬伝」の大 作者、大書道家の紫舟氏である。
それで江戸東京博物館で開催される特別展「龍馬伝」のパンフを貼って置いたが、隣にある文は読めるだろうか。
2010/03 /14研究会があって、うちの社中の人達が集まって見せたが読めなかった。

これは、読売新聞3月12日夕刊に掲載された「いま風」の言 葉。
こういう漢字かな交じり文というのは、書の世界では「近代詩文」とか「調和体」という分野にあたる。ついでに言うと矢部澄翔、木村怜由氏など が得意とする分野でもある。
この分野の特徴というか、原則というのは先ず読めること。
読売書法展などては連綿などに関しても厳しい規定が あるだけでなく、中学生でも読めるというような「可読性」を重視している。
先ず、 「ウかんむり」に心の文字。なんと読むのか分からない。
実 は、こんな文字はない。ちなみに、わざわざ「書道字典」を調べてみても見つからなかった。その理由は、「関心」と二文字であると言う事だという。
と ころが「関」の文字の門構えの略字と言うか、行草で使う「門」が違う。
大きな「ちょん」は本来なら「点(、)」なのである。
しかも門構え の中に入るものも、元はと言えば略字。
続く「心」と言う文字も心許ない。
続いて「尊」。
これも間違い字。なぜなら真ん中の酒に似 た部分に一本棒がない。まさか草書でもあるまいにこんな程度の行書で省略しない。なぜなら、この棒も元々の省略型なのである。
そして、その尊の上 の「ワ」なんじゃこれだが、察するところ横の文字の門構えに合わせた?? それとも人間の「和・輪(ワ)」を表現した??‥‥そんな馬鹿な‥‥なのである。
しかし、この人物の可笑しさは、「龍馬伝」の「伝の文字の最後の 止め」から尻尾が出でいるところの説明で‥‥‥。
これは、今日教えて貰ったのだが、「坂本龍馬が人を一人も殺さなかったから、最後に筆を払わず、 止めた」というのだそうな。
~~普通そんな説明を聞いたら「大笑いなのだが」‥‥「冗談じゃないの?!」というものである。だから、この詩文でも こんな説明文が添付されている。
「集まってきたやわらかい思いやりを書きました」‥‥なにそれ だろう!
一文字一文字が品が悪く、抑揚に掛ける展開。
そして、最後の行も全く読めない。
なぜなら、文字を読む法則を崩して、下から上に読み上げ る。
はっきり言って、書の感覚、文字は中学生並というところなのである。
これを上記の女流書家・矢部澄翔、木村怜由の両氏とを同列に並べ て、比べるのはいささか失礼に当たるとは、HPの作品を比べてみれば明らかなのである。
そして、文字を書くというのは、文字その物の「抑揚」と文 字が書かれた全体の「抑揚」という二つの要素で組み合わさって、いわゆる近代詩文という日本的な書というものが完成する。
ところが、以前産経新聞 で中国人の女性の書家に「今日の言葉」というものを書かせたことがあった。実はこれがほとんど読めなかった。
なぜなら、中国には「かな文字」が無 いからで、「かな文字」が漢字になったり、又強弱、大小もないからよけい分からない。
そして何に付けても、単調で大陸的な「大雑把」というのは、 中国人が書く墨絵と全く同じ雰囲気だったのである。
やはり何か国民性というものが、書画には現れるのではないかと言う気がする。
先日東京 都美術館で「刻字展」も観覧してきたのだが、日本、中国韓国という色分けでまとめてあったのを見ると、案の定「中国韓国」というのは大陸的な感じが強 い。
これから見ると、紫舟氏の書作というのは日本的と言うより、中国韓国的な書作に近いと言うものであろう。
少なくとも日本人的な繊細 な心遣いを思わせる書作ではないと言う事である。

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没後400年 特別展 長谷川等伯 他を見る

2010/03/13 22:29

 

没後400年  特別展 長谷川等伯 他を見る

2010/03/12東京国立博物館 平成館で開催されている「長谷川等伯特別展」を見た。
12日になってしまったのは、雪が降ったり交通 機関の運休やら何やらで行けなかったからである。又一方、東京都美術館、上野の森美術館、国立新美術館などで開催されている書展、第59回奎星展、第46 回創玄展が12日を最終日としていたからでもある。
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「長谷川等伯特別展」も週末では混雑するとしても、平日なら大した事はないだろうと高をくくっていたら朝10前で長蛇の列だった。
それで も、20分待ちで入場出来たというものの、入り口の「第1章・能登の絵仏師・長谷川信春」というところでは曼荼羅の作品にも近づけない有様。
こん な時はと言うより、音声ガイド(500円)を借りないと凡そ何も見ないで出てきてしまいそうだから、それを頼りに廻る始末。
結局第1室は、パスす ることにした。
ところが第2室に行っても同じようというか、そのまま流れてきたような人達でこれまた寿司詰め状態。
音声ガイドもまだまだ 2-3-4までしか行かない。しかし、どこの音声ガイドなのか目録を後から見て再度廻る始末なのだが、ようやく何とか見えてきたのが第3章(第3室)の等 伯をめぐる人々-肖像画-。
みれば見た事があるような肖像画も出で来る。
まだこの辺は序の口というところ。
第4章桃山謳歌-金碧 画-になって、国宝が二点展示されていた。
ここが前半の一つのメインで第一会場のトリという部分である。
音声ガイドのよいところは、こう いう重要な部分ではキチンと解説してくれるところで、そうでなければそのまま単に見るだけで記憶に残らないところである。
しかも、金箔全面に「キ ンキン」貼ってある筈なのだが、照明が薄暗いからよく見えないのである。だから写真で見た方が余程綺麗で、細部まで判るというのは何やら割り切れないとこ ろがある。
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反対側の第2会場は、「仏涅槃図」の巨大な作品の続き水墨画。
国宝は、入場券の絵柄にもなった「松林図屏風」。
その国宝、解説に よると元々の和紙の貼り合わせなどがあまり丁寧にやられていないのだそうな。
要するに、何か下書きのつもりで書き始めて出来上がったものが、あま りにも上手く書けてしまったと言うのかも知れない。
あの「永和九年‥‥」で始まるあの有名な蘭亭の序は、下書きのつもりで書いた「蘭亭の序」であ るとかの話が伝わる。その後何度も書いたが、下書きの「蘭亭の序」を上回るできの物が出来なかったと言う話。色々諸説あるものの、そう言う類の話は間々あ ることである。
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東京国立博物館を出できたら、もう入館に80分待ちとアナウンスされていた。
その後、都美の第59回奎星展、第46回創玄展、その他書 展、上野の森美術館の「'10奎星50人の書」を見てお昼時間を充分廻ってしまった。
今回、第59回奎星展では、「特別企画」として特別陳列 古 鏡・文房清供展などか開かれていた。
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中でちょいと気を引かれたのが「硯」。
元々師匠の横堀艸風先生が硯を集めるのが趣味で、色々と触らせて頂いたり見たりもしたから、その比 較で不思議と硯の善し悪しが判る気がするのである。
その硯の中で気になったのが、「澄泥硯」。
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一昨年の国立新美術館で展示された「澄泥硯」なるものが、全て石の「澄泥硯」でがっかりしたものだったが、今回のものは本物の「澄泥硯」、即ち焼 き物であるような気がした。
実際手に取ってみないと何とも言えないが、間違いなくそうだろうと思う。
最近の傾向として澄泥硯は石だとする から、なぜなのだと不思議に思う。
奎星展の澄泥硯の説明にも不思議な記述がある。
「澄泥硯・江蘇省蘇州市郊外霊巖山からの産出。かっては 焼成の硯とされてきた。」

こんなことは、大嘘なのである。
澄泥硯というのは、元々砂鉄の多い砂の焼き物の実用品で(安く)広く使われていた人気の硯である。それが、 お宝ではなく実用品だったために後世に残らなかったと言う硯でもある。しかも、人気が薄れると共に製法技術も廃れてしまったため再選産は出来ない。
そ れで、砂鉄の元になっている岩石を澄泥硯と名前を付けて最近売っているだけのもの。
新端渓の硯を見てみれば色々な名前を付けて最もらしくしている ように、中国人というのは商売人なのである。
その他、歙州硯の一部は新歙州硯だったよな。

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毒害・角田房子/著 閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母 ニュース記事に関連したブログ

2010/03/12 23:15

 

角田房子/著 閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母

この人は、このいかがわしい歪曲したドキュメンタリーで63年に新潮学芸賞を受賞を貰ったとは知らなかった。

なぜなら、あまりに出鱈目の歪曲、そして日本悪を書き込んだものだった。

「閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。」というのは誤りの「プロパガン ダ」であることはほぼ分かっている。閔 妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)
書評では「閔氏を国母と呼ぶなど、無知の極みだ。」と酷評で韓国の 歴史教科書に似ているという。

 

「首謀に関しては、国立国会図書館憲政資料室 憲政史編纂会収集文書の整理番号 546 「朝鮮王妃事件関係資料」によれば、当時の日本政府による計画的な策謀でないことは判明している(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)」し、事実、当時の朝鮮政府は「周会、朴銑、尹錫禹3人とその家族を同年10月19日に処刑している(同)」
又、「閔 妃暗殺の2日後(10月10日)、興宣大院君の意向により、閔妃は王后の地位を剥奪され、平民に落とされる。(同)」
従い、「閔妃暗殺」というの は当時の政治情勢から見ても、単に当時の日本が単純に暗殺を企てたとは言いきれないと言う事は明らかである。

 

この人物は、女性の「和田春樹」とも言える人物だったとはね。

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学習院初等科の学級崩壊・なんとジャイアンとスネ夫がいた隣の北組 ニュース記事に関連したブログ

2010/03/11 17:35

 

学習院初等科の学級崩壊

なんとジャイアンとスネ夫がいた隣の北組

学習院初等科の問題でどうせ週刊誌が書くだろうと思っていたら、2010/03/11発売の週刊新潮、週刊文春には「ワイド特集」、「深層スクープ」というトップ記事で扱われていた。
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とどのつまり、10倍の競争率を超えて入学した学習院といえども、金があって多少頭が良くても、元々の育ちが悪い(?)成り上がり(?)の子どもが入学してしまったと言うことである。
そして、そんな子どもにたいしてこの子にしてこの親有りで、親も当然「モンスターペアレント」だったということ。
その上に、この児童を指導しようとした主管(担任)にたいして、何かの反発の裏返しか父母会が反発する。父母会が科長(校長)にまで抗議するという父母の質の低下というのがあるとのことだった。
その父母とは、父母会で学校に来たとき、「主管の先生と廊下で会ってもガムを噛みながら挨拶もしない」とか、授業参観日の参観中に私語、携帯電話まで鳴るとか‥‥。
しかし、お受験の時は書面による願書の任意レポートに書く「志望理由、家柄、親戚も知人に初等科出身者がいるかどうか」であるし、試験は、受験生本人と父兄に対するものが同時進行で、別々にあると言う。
父母面接では「教育方針、出身校」なども聞かれるとも。
だから、そんな人達の子供を入学させたと言うのも学習院の責任というものだ。

そして、小生などが、中学生くらいの頃までは成績がよい子は例外なく人物的に「優等生」だったが、学校の成績がよいから「優等生」とは限らないとは高校に進学してからつくづく思ったものだ。
一方、子供を見てみれば、鳶が鷹を生むと言うこともたまにあるものの、蛙の子は蛙にもならないこともままあることである。
但し子供の生活態度や性質というものは、少なくとも親の四分の一程度は受け継ぐものだ。不思議なことに、悪いところばかり受け継ぐと親としては思えてならないのである。
さて、学習院初等科の学級崩壊に戻ると、敬宮愛子さまが入学するに当たって学校側では種々の対策をしたことが書かれている。
それはICチップ埋め込みの身分証を作ってそれを持たなければ校内に入れないようにしたり、1クラス44人で3クラスだったのを4クラス33人にした。又、初等科は東西南北の4クラスで愛子さまが所属される南組の教室に鍵をかけるなど。
それにたいして、父母会の母親から「愛子さまシフト」への反発があったようだ。
小さな子供というのは、親の感情を不思議なことに反映させることがある。要するに、親が思っていることなどを耳の端々に聞いて、それならやってやろうではないかと言うこともある。
しかも、今回北組にたとえばドラえもんの「ジャイアン」のような小二で身長140㎝の乱暴者がいて、「スネ夫」らしき子分を従えて暴れまくるというのが今回の騒動である。
元々1年生の時から問題行動を起こし、2年生になって顕在化したという。
父母から「騒ぐ児童がいて、授業ができていないようだ」とクレームが入ったそうだから、現実の学校側として問題がある。
そして、その「ジャイアン」。週刊誌ではA君としているが、以前のエントリーで述べた「成績優秀で先生に上手く取り入り、同級生を影で苛めるという手合い」だった。
そういう児童というのは、両親にとっても「成績良くてよい子」を偽装するから、ますます両親はモンスターペアレントになる。
しかし、そういう親というのは小生の経験上、賢くて、家柄が一見良さそうで、結構嫌みがあるタイプというのは間違いないようだ。

そういえば、今の皇太子が学習院初等科に入学したころ、何やら問題があって特別にご学友数人を選び守らせたと言うような記憶がある。
うろ覚えだから確かではないが、別に記者会見をしたわけではないから大した話題にもならなかったような気がする。

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渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と吉田茂編 その2

2010/03/11 01:12

 

渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と吉田茂編 その2

前 回のその1で、片岡鉄哉著(スタンフォード大学・フーバー研究所上席研究員)・英文原著「The Price of A Constitution」(Tailor&Francis New York,Inc)、日本版「さらば吉田茂-虚構なき戦後政治史」1992年(絶版)、復刻改訂版「日本永久占領」1999年(絶版)を紹介した。
渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と同著「日本の歴史7戦後編(戦後混迷の時代に)」は、この片岡鉄哉著「日本永久占領」を何やら参照したような記述が散逸される。
しかし、参考文献にも紹介されないように片岡論調には否定的と言うより、無視する非常に不思議なものになっている。
簡単に言えば、占領下の日本国憲法、講和条約と戦後の混乱期の謎に迫っていない。

一方、片岡鉄哉著「日本永久占領」1999年は、「さらば吉田茂」1992年版を改題と言う事になっている。しかし、「一部訂正・加筆の上文庫化」とあるとおり結構微妙な部分で大幅改訂されていた。
特に「訂正・加筆」がされていたのがサンフランシスコ講和条約前後の状況の描き方で、はっきり言って事実が大幅削除されていた。
似たようなことは「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」御厨(みくりや)貴・中村隆英編(岩波書店、2005年)に書かれていて、この回顧録の方が生々しい部分がある。
但し、例によってほとんど参考にならない回顧録であることは間違いない。
なぜなら、肝心なことを御厨貴・中村隆英という元・現東大教授達が聞いていないからである。
本を読み進んで行くと、朝鮮戦争の部分で中村氏が妙な文献を紹介する。
それは、あの和田春樹「朝鮮戦争全史」(2002年・岩波書店)で、その紹介というのは‥‥「非常にバランスが取れた本だという気がしました。この人は六カ国語もできますし、アメリカ、ソ連あたりのドキュメントをずいぶん見ていまして、いい本のように思います。」
と紹介する。
見知っている人なら大体分かりそうなものだが、今や和田春樹氏の言動、著作というものはほとんど信用が無い。何と言っても北朝鮮による「拉致問題はない」と言い続けていた人物として有名であるからだ。
それを「いい本」と言い切ってしまうのは、そちらの方の範疇に入る人達、2005年になっても和田春樹氏を評価しているナイーブな岩波人と言う事だろうか。
なぜなら、ジャーナリスト萩原遼氏の和田春樹氏『朝鮮戦争全史』(『諸君!』二〇〇二年九月号)への反論などかあるからである。
そして、最近では以前のエントリーで述べたように
2009年12月07日(月)共同通信伝として
「日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見」として、あのいわく付きの「和田春樹東大名誉教授が発見した。」と報じた。
その内容は、
「和 田名誉教授はロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルク)で、皇帝から信頼された大臣待遇の主戦派政治家ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10 日付の同盟案全文を発見。同盟案は『ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだ けだろう』と分析、『ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する』ことなどを提案してい た。」
と言うもの。
説明としては「日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。」

これに関しては、エントリー「ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知」として論破しているが、本当にこれに関して著書を出すのかと言うものなのである。

多少話は逸れたが、こんな風に岩波人が当たり障りのないように、宮澤喜一氏に聞いているから当然核心部分き何も書いていない。
なんとこの中村氏は、和田春樹「朝鮮戦争全史」を引いて「あれを見ましても、対日講和との関係ということになると和田さんも調べきれなくて、書いていないんです。」と‥‥冗談じゃないよ、都合の悪いところは書かなかっただけと言うものではないか。
そして、その部分の宮澤喜一氏の発言も回りくどいものの、「日本永久占領」に書かれている事実を補完するものとして参考にはなる。

そして、もう一人の御厨貴先生も妙なことを言っている。
「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」p139
御 厨「私は昭和26(1951)年の生まれですから、まったく占領期は知りません。全部教科書的に習っただけです。やはり僕らは、戦前の軍部が悪かった、軍 国日本は悪かった、それにくらべたら民主化された占領というのは非常によかったんだ、というふうに、小学校の頃から対比させて習いました。」

この話、本当にそうなのかなと実は疑問なのである。正直言えば、小生は御厨氏とは同世代人であり、同じ頃の空気を吸っていたからである。
それは、小・中学校の頃から戦後の部分というのは、ほとんど習わなかったという記憶が鮮明なのである。
確かに教科書には書いてあった。しかし、書いてあることは矛盾ばかりだった。
なぜなら、占領中に日本国憲法の公布?、GHQの検閲憲法には言論の自由があるはずなのにない。
これはオカシイと思わないのは、少々いかれている。
しかも、学校の教師は日本国憲法の公布くらいまででそれ以降は説明もしなかったのだ。
なぜなら、教師は戦前前後を過ごしてきた人達でり、戦争に行ってきた人、又軍隊に慰問に、軍事工場に勤労動員してきた人達だからだ。当然、回天などの特攻隊の生き残りの教師もいた。
中学では、数学教師は元陸軍大尉で中国戦線での戦い方を説明するし、英語教師も元陸軍中尉だった。国語教師は、師範学校時代に海軍軍人に憧れて~などなどの話しもあった。
当然、父は戦争へ行った世代だから、戦争時代の話というのは何度も聞いた。
多分、御厨貴先生というのは、よく教科書を読んで勉強をして、父母の話も先生の昔話にも耳を傾けず、小説も映画も見なかったに違いない。
高校の頃は、あの大江健三郎の著作を散々読まされたから、70年安保の頃には60年安保を題材にした大江氏の著作も読んだ。
「セブンティーン」(第一部)。‥‥第二部の「政治少年死す」は著作から消されて不明。
これでなんと70年安保の呪縛が溶けたと言うのも、面白いものである。
御厨先生は、多分高校生の頃に起きた中国の文革を絶賛し、赤い表紙の毛沢東費語録をむさぼるように読んだ人達の仲間なのではないか。
それにしても、未だに呪縛というかマインドコントロールが溶けていないと思われるのはどうしたことなのか不思議なものだ。

いずれにせよ、全ての著書で共通しているのは吉田茂氏は、講和条約締結と共に引退すべきだったということが書いてある。

「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」
では、あの白州次郎氏の言葉として、宮澤喜一氏が紹介している。
他の著書でも宮澤喜一氏は、講和条約前後の吉田茂氏の言動に関して疑問を呈していることから同意見と見られる。
「帰りの飛行機の中で吉田さんに『あなた、これで辞めなさい。あなたの仕事は終わった。一番いい時期だから辞めなさい』というわけですね。それは吉田さんは気に入らないわけですよ。ずいぶんいろいろなときに、そう言うことはいっている。」

「日本の歴史7戦後編(戦後混迷の時代に)」
p190「吉田首相は日本の名誉を守り抜いた形でサンフランシスコ講和条約を結び、そこで辞めておけば、後々まで神のように語られただろうといわれているが、‥‥」

「日本永久占領」
p238「吉田は講和を花道に引退し、政局を一新して、後継首相による再軍備と憲法改正に道を開くべきであった。」

事実、サンフランシスコ講和条約後の吉田首相の行為というのは、小生が見ても不可解なところが目立つ。
次回、種々の検討をしてゆく。

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アカデミー賞「ザ・コーヴ」と舐められた日本の構図 その2 ニュース記事に関連したブログ

2010/03/10 19:14

 

アカデミー賞「ザ・コーヴ」と舐められた日本の構図
  その2


その1では、舐められる日本という構図の一つトヨタ問題に言及した。
昨今の新聞報道では、非核三原則は実は非核二原則だったことが明らかになっているが、そもそも沖縄返還に当たり「非核三原則」など度言う訳の分からない言葉を導入したのがおかしなものだった。
実際、そんな非核三原則GHQが「東洋のスイス」にと非武装中立国又は、軽武装中立国を目指すようなことをしていても、たいして舐められなかった。
核持ち込みの密約を暴露したというか、「核の持ち込みは核の傘にある限り当たり前である」という事を毎日新聞社の記者時代の古森義久氏のインタビューでライシャワー元大使が暴露した事実があった。
そのライシャワー元大使というのは、MacArthurの日本無力化と小和田氏のいう日本・ハンディキャップ国家を強く考えた人物でもあった。
要するに、日本という国は「本当に怒ると、怖い国だ」というイメージである。
怒らせると怖いという前の戦争の遺産というものは、ベビーブーマーが世界の指導者の位置に付く現代にあっては、消え失せて今や羊のような国というのが日本である。
あの調査捕鯨に対するグリーンピースの妨害の仕方をみても、日本だけを目標にしている事だけでよく分かるではないか。
そして、捕鯨船に乗り込んで捕まっても、待遇は客船に乗っているようなものだし旨いものだって幾らでも食べられる。
これがロシアや中国の船だったら、初めから妨害などするわけはないし、もししたとしたら命の保証はない。
日本の捕虜に対する扱いの寛大さというのは、第一次大戦のドイツ軍捕虜の扱いで有名になって、東南アジアでの英軍の捕虜が大量に出た事からでも明らかであった。
そんな記憶は、活動家にはとうになくなっている現状だから、「甘い日本・甘っちょろい日本」という印象が広まっている。
しかも、日本というのは米国のように本当に怒ると国際組織からでも脱退してしまうと言うことがない。IWCなどでも日本が脱退してしまえば、単なる鯨愛護団体になり、かつ資金の枯渇するために事実上空中分解というのが真実であるのにである。
だから、今の民主党のように日本の国を守るという気概のない政府が誕生してしまった以上、自ら守ると言うことしかない。
農林水産大臣が多少何か言ったところで、何の影響力がないものというのは無意味だろう。

結局対処としては、和歌山県太地町が米国で訴訟を起こすしかないだろう。
アカデミー賞・長編ドキュメンタリー賞を貰ったいとうことで多少興行収入でも上回った所での提訴と言うのも有りだろうが、その辺の所は文殊の知恵である。
何せ、肖像権やら名誉毀損だとかいろいろと絡んでいる。
兎に角、一番悪いのは昔の日本のように、無視してそれでよいとする事だ。
それにしても、弱い国家、奴隷の平和や中国を宗主国とするような政府というものでは、国民は多いに苦労する。
そして戦後、軍事は軽装備でやってこられたのも、所詮前の大戦の遺産であって、これを食い潰した後だから、この日本というものの今後の構築に迫られている。
そんなことが分からないノー天気な民主党と、政権政党であることが目的だった自民党というのは、日本にとって害以外ではないというのが現実問題である。

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アカデミー賞「ザ・コーヴ」と舐められた日本の構図その1 ニュース記事に関連したブログ

2010/03/09 19:40

 

アカデミー賞「ザ・コーヴ」と舐められた日本の構図  その1

 アカデミー賞・長編ドキュメンタリー賞の「ザ・コーヴ(入り江)」
これは和歌山県太地町のイルカ漁を批判した米映画であるが、これに関して2010/03/08のWebでは報道されていた。新聞では2010/03/09の朝刊に掲載されている。
「映画はスタッフが立ち入り禁止区域に侵入し、隠しカメラを設置して撮影された。漁師たちが入り江に追い込んだイルカの群れを鉄の棒で突いて海面が真っ赤に染まる場面などが映し出されている。」
「三 軒一高町長は『事実誤認が多い映画が受賞したことに驚いている。われわれの町は鯨類については貴重な食料資源として認識している。海外には私たちが食べな いものを食べる地域もあるが、その食文化を否定する気はない。今後も国内外に正当性を強く主張していく』と不快感をあらわにした。」(産経新聞)
又、「ザ・コーヴ(入り江)」の国内配給元の「アンプラグド」では「日本での上映には『ボカシ』などの修正が必要と判断している。」という。
そ の理由としては、「盗撮部分や漁師の顔が撮影された50~60か所にはボカシなどの修正に加え、作品の最後に示されているイルカの体内水銀濃度のデータに ついては『すべてのイルカにあてはまる数値ではない』と注釈を入れることを、製作側に打診している。」(スポーツ報知)
こういう事はいろいろと考えさせられるものである。
考えさせられるというのは、日本は「舐められいる」そういうことである。
日本の鳩山総理や防衛大臣の様子を見てみれば、どうしようもない顔つきだと諦めるしかないが、普天間基地問題を取っても日本政府の馬鹿さ加減と言うのは極に達する。
社民党の党首は特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)で有りながら、担当大臣での話などほとんど聞いたことがない。
いつから、外務大臣や防衛大臣に鞍替えしたのかと誰でも思うだろう。
だから、話が出て来るのは普天間基地問題の時ばかりばかり。それも歴史的な軍事音痴、外交音痴の上に、元々QHQのMacArthurに作って貰った社会党の末裔だから、GHQに甘える体質が直っていないという体たらく。
そんなことで、自民党の時に調査捕鯨に対する法律を整備するはずなのにそのままという有様。
今の民主党というのは、選挙の前だけは「国民の生活が第一」と言いながら、国民を絶対に守らない政権であるというのはあのトヨタのリコール問題を見ても明らかである。
自民党政権だったら事が大きくなる前に、政府首脳が対策を練ったり米国と折衝をするのは当たり前の筈だが、今の民主党はトヨタをそのまま見殺しだった。
既にトヨタに対する訴訟は起き始めているから、そのうちに100を超す集団訴訟になるかもしれない。
金が取れると分かれば、骨までむしり取られるというのが訴訟社会の米国の筈である。
多分、中国だったらとっくの昔に米国に圧力をかけているだろうし、中国の民間団体という中国の手先と米国人になっても心は中国人の中国系米国人が擁護するだろう。
しかし、日本ではいずれも聞いたことがない。


○鳩山由紀夫首相に至っては、2月9日の衆院予算委員会で、
「トヨタ自動車がハイブリッド車プリウスなどのリコール(回収・無償回収)を届け出たことについて、『人の安全や命にかかわる事件、事故はたくさんある可能性がある。リコールに至らないケースでも、政府として情報公開を求めることは重要だ』と述べた。」
○「前原誠司国土交通相は、『顧客の立場に立った対応が必要だった』と指摘。トヨタ幹部がブレーキシステムの問題を『(利用者の)フィーリングの問題』と説明したことについて、『そういう言い方は極めて遺憾だ』と批判した。」


こんな発言を聞いていると何やら人ごとの様ではないか。
前原誠司国土交通相と言うのも、車を運転したことがあるのかと思う。
だからアンチスキットブレーキなどと言うものは、本来なかったもので昔はポンピングブレーキで対応すると言うのが普通なのだ。
要するに、米国での事故は本来なら運転ミスに由来するものなのではないか。車の安全を過信するというのは全てオートという米国ならではのこと。
見て見てれば、全世界に工場を持ち販売しているトヨタ車のリコール問題というのは、そもそもなど米国でしか起こっていない。
本当に問題があれば、日本でもEUでもどこでも起こるはずなのである。

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学習院初等科の学級崩壊・学校側「学級崩壊」否定

2010/03/09 15:08

 

学習院初等科の学級崩壊・学校側「学級崩壊」否定
‥‥‥‥‥‥‥
(学習院)広報課長は、取材に対し、次のように話した。

「定義の問題もあると思いますが、こちらとしては学級崩壊があったとは認識しておりません。一般の人から『気にしないで頑張れ』『宮内庁の発表には違和感がある』との意見もいただいています。今回の件で、保護者からの反応も特にありません(J-cast news)

‥‥‥‥‥‥‥
何やらこの学習院初等科の学級崩壊に関しては、学校側と児童を供給する側の「塾関係者」では問題点の火消しに躍起になっている。
学習院初等科については、「お受験に詳しい学習塾関係者によると、共学の私立小学校では、ダントツ人気の慶応幼稚舎は別として、青山学院初等部などと並ぶ人気校だ
‥‥と言うことで利害関係のある供給側も妙な火消しに回っているのは不自然でもある。
‥‥‥‥‥‥‥

「確 かに、お受験できつくやり過ぎて、入学してタガ(箍)が緩むという話はあります。しかし、それも走り回って先生に飛びつく程度です。難関校だけに、しつけ を身につけて入ってくる子も多く、学級崩壊不登校は少ないと聞きますよ。また、小学校1、2年生なら、お受験校であっても、男の子が走り回らないような 学校はないと思います。これが5、6年生なら話は別ですが、学級崩壊と言えるのでしょうか」
   また、愛子さまのケースについても疑問を呈す。
「発表の仕方に、問題があると思います。たかが10歳に満たない1、2年生の子どもに、犯人捜しはよくありません。児童同士のいたずらだと思いますし、初等科の父兄から話を聞くと、発表とは逆の情報もあるんですよ。騒ぎすぎだと思いますね」

‥‥‥‥‥‥
「小学校1、2年生なら、お受験校であっても、男の子が走り回らないような学校はないと思います。」と塾関係者は言う。
しかし、子どもが走り回るというのは一クラス55人もいた戦後ベビーブームの頃ならいざ知らず最近ではあまり見られない。そして、その戦後ベビーブーマーでさえ「授業中に騒ぎだし、勝手に立ち歩いたり廊下で走り回る児童」というのは皆無に近かった。
いずれにせよ我々庶民にとって全く関係ないことだから、どうでも良いと言うのが本心である。
別のことを言うのなら高円宮家、秋篠宮家が学習院を選ばす「学習院離れ」が進んでいると言うのも時代の流れであるし、他のお受験校であれば別の対応なり心構えなどが有ったかもしれないと言うことである。
だから安易に敬宮愛子さまを学習院に進学させてしまったと言うことが、いろいろ妙な結果に結びついしているのかもしれない。
逆に言えば学習院でなければ、多少学級崩壊があってもそんなものかと言うものであるし、そんなものは乗り越えてゆくのが本当だろうと思うのではないかと言う部分もある。

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学習院初等科の学級崩壊・犯人捜し始まる ニュース記事に関連したブログ

2010/03/08 12:34

 

学習院初等科の学級崩壊・犯人捜し始まる

前エントリー「学習院初等科の学級崩壊・成り上がり者の正体見たり」にはブローチ版で3,255アクセス、他のもので 4,805 アクセスと単純計算で1日で8,060を達成した。
通常3,500程度と見ると倍以上のアクセス数があるのは異常である。それでいくらか調べてみたところ、学習院初等科の学級崩壊の犯人捜しが行われているのではないかと言うところに行き着いた。
学習院初等科の学級崩壊と言うものは、報道によれば1-2年生に広がっており特に「敬宮愛子さまが在籍する2年生」の学級崩壊が大きいようだということらしい。
「昨年7月から11月ごろまで学級崩壊が発生。」との報道も実は怪しいもので、夏休みを経てかなり酷くなったと想像出来るし、終焉したのは冬休みに入ってと言うのが本当かもしれない。
そうでなければ、敬宮愛子さまの「続けて欠席」という理由が理解出来ない。
学習院ではどんな対策を取ったのかというと「この事態に、複数の保護者が学校側に善処を申し入れ、同校は担任教諭のほかにサポーターの教職員を教室に配置した。」「補欠募集を中止した。」
早い話、落ち着かない子どもたちを教員がいちいち押さえていると言うことである。
しかし、押さえられるのは授業中でのことで放課後や休み時間の間では目が届かないし、子供というのは押さえられれば地下に潜るというか、見えないところで始める。
これは子供の抑圧された感情の発散であるかもしれない。
大人の世界では、60年安保の前哨戦として「勤務評定(勤評)闘争」(1957-58年)と言うものがあった。この勤評闘争では最終的に子供の父兄(保護者)を教員は動員して、勤評闘争に参加させると言う手段に出た。
実は、この勤評闘争の中期には小生の母も参加していて、偶然選挙カーの様な車に乗って演説していた母を見たことがある。その後に続く勤評闘争では担当教師(兄の)が運動を辞めてしまった関係もあって参加しなかったが、後日その理由を聞いたことがあった。
その理由とはなんと意外なことだった。
「教員に勤務評定を課すのは、公務員として当然のことで誤りではない。」
それでも参加したのは「嫁と姑の関係の鬱積がたまったから」という単なる憂さ晴らしだったと言うことである。
憂さ晴らしで騒ぎたかったからと言うのも、母も随分と若かった。
そして、勤評闘争も教員が直接に顔を出すと都合が悪いから、何の影響を受けない子供の母親を使うということだったのである。
こういう「単にそのときの雰囲気で騒ぎたかった」というのは、すぐ後の60年安保でもそうであった。
そして、その闘争に無邪気に参加して酷い目に遭うと言うのがノンポリ学生だったというのは後の、70年安保前後の事件、成田闘争もみな同じたった。
話は、多少それたが人間本性むき出しの子供というものは、やはり家庭環境をそのまま鬱積として出せるところでだすと言うものである。
一方、学習院ではその後どういう対策を採り続けるのだろうか。
今回の問題の様に、ことが大きくなってしまったからには一切箝口令が敷かれて、沈静化を図るに違いない。
初等科の選抜方法を考え直すという話も報道されたが、今年4月の新一年生は既に決まっているから平成23年度からと言うことになる。‥‥が、ほとんど見直しなどは行われないのは間違いない。
なぜなら、金に絡むこともあって変えようがないからである。
結局取る方法とは、くさいものにはふたをする。
学習院では、4月にクラス替えをすると言うから、問題児たちをまとめて離したクラスに配置するという措置をすることになる。
即ち映画「大脱走(TheGreatEscape)」の様に臭いものはまとめて隔離する。又は排除してしまうと言うことではないか。しかし、そんなことは無駄だと言うことは映画が証明しているもののどうなるのかなのである。
そして、既に関係者は種々のことを掌握しているであろうし、改善されなければ「犯人の特定」もいずれされるであろう。
もし流れているとすれば、情報は昨年末までに掌握されたことだと思うし、小生が保護者だったら絶対にネットなどに流さないから、週刊誌ネタに期待するしかない。

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学習院初等科の学級崩壊・ 成り上がり者の正体見たり ニュース記事に関連したブログ

2010/03/06 22:58

 

2010/03/05「敬宮(としのみや)愛子さまが、同学年の児童たちから『乱暴』を受けていることを理由に、今週学校を続けて欠席されたことを明らかにした。」(産経新聞)
夕刊フジ(ZAKZAK)によると学習院初等科の学級崩壊というのは‥‥

「宮 内庁と学習院の話をまとめると、愛子さまが在籍する2年生の別のクラスで、昨年7月から11月ごろまで学級崩壊が発生。数人の男子児童が、(1)カバンを 投げあう(2)授業中に教室で縄跳びの縄を振り回す(3)廊下をすごい勢いで走り回る-などの乱暴行為を繰り返していた。」
「同校では、ほかにも授業中に騒ぎだし、勝手に立ち歩いたり廊下で走り回る児童が昨年から目立ちはじめ、1年生では男子児童が、後ろの席に座る女子児童の顔を鉛筆で傷つける事件も発生していたという。」

昔の記憶では、「カバンを投げあう」などと言うのは放課後ではあったように記憶するが、授業中では有り得なかった。昔の先生というのは結構怖かったのである。
何と言っても、特攻隊帰りの先生もいたから「デカイ声」で怒鳴られるとどんな「悪ガキ」でもシュンとなって以後絶対に悪さをしなかったものだ。
それなら最近はどうかというと、小学校では地域によって差がある。
地方都市の大方中心部の小学校では、割合と児童が大人しく学級崩壊などというのは聞いたことがない。
しかし、不思議なことに小生の子供時代から現在に至るまで、あまり芳しい噂を聞かない地域もあるらしい。
ただそれは、公立小学校という分野であるし、小中学校は全市から昨年まで自由に選べた。そして、当然のことながら試験で入る旧国立の附属小学校などでは、過去から現在まで絶対に有り得ないことであった。

ところが、この学習院初等科で学級崩壊と聞くと笑ってしまうと言う気がする。
なぜなら前述の夕刊フジ(ZAKZAK)にはこうも書かれているからである。

「学 習院初等科は、慶應義塾幼稚舎や青山学院初等科と並ぶ“お受験御三家”の1つで、競争率は常に10倍超の狭き門です。入学後も、毎年の授業料以外に『一口 15万円最低5口、平均10口』ともいわれる寄付金が存在するなど、経済的に裕福でないと通学させることは困難。学習院は、他の2校と違って全員が大学ま で推薦で進学できるわけではないが、生徒はみな上流階級に近い教育を受け、躾もしっかりしていることが圧倒的人気の理由だったのですが」

学習院が上流家庭とは関係ないとはとうの昔から言われてきたことだが、今回のことを見てみれば、入学する子どもの両親というのは子どもの幼児教育さえ出来ていない人達がいたと言うことである。
学習院に限らずこの手の入試には、両親共々面接を受けて、両親を見て入学させるというのは決まり切ったことで、中にはその場限りの俄・上流階級の成金がいたと言うとである。
世の中不思議なもので、金があるから、又事業で成功したから「大人物・大人」と言う事は無くて、成功は時の運みたいなことがある。
明治期の元勲は下級武士からの成り上がりとはいうものの、今の水準では信じられないほどの学問と武士階級としての規律をたたき込まれてきた人達だから今で言う「成り上がり」とは違うだろう。
その後の「成り上がり」の人達のことを、昔の人は「旭大尽(あさひだいじん)」と言ったようだが、今では死語で本当の意味は分からない。
多分あの「旭将軍(源義仲・木曾義仲)」から来た言葉だと思うが定かではない。
それで実際そう言う成り上がりの人達というのを、実は昔経験したことがあった。
それはある大企業の社長の娘婿一族が住んでいるマンションの部屋に絡んだことで、とんでも無いことばかり起こる毎日だった。
挙げ句の果ては、大学の教員をしていた奥様の「洗濯物を取り込んで」という電話に管理人と共に入った部屋は、泥棒にでも入られたような乱雑な有様。
保育園に行っていた子どもは、正に「絵に描いたような嘘」をつき、という表裏のある子供。

管理人共々、ああいう子どもが将来偉くなって‥‥と感慨に耽ったものだ。
但しこういう、すばしっこい子供というのは、表裏を上手く使い分けるのが上手いから目立つ様な学級崩壊などは起こさないのが普通である。
逆に言えば、成績優秀で先生に上手く取り入り、同級生を影で苛めるという手合いである。

その点、学習院の学級崩壊など可愛いものだろうが、公私のけじめが付けられないというのは、元々やはり両親に問題がある。

「成り上がり」、「旭大尽(あさひだいじん)」が本当の名家になるというには、どんなに考えても4-5代の年月がかかるというのは事実である。
逆に言えば4-5代(少なくとも100年)の年月まで、その家庭環境を維持して行くと言う永続性が求められる。
初代と2代目というのは、同じ世代に属するから2代目名家から妻を迎えても、孫はまだまだその要素をやっと受け継ぐ程度。だから初代が無くなって2代目の影響力の少なくなった4代目以降にやっと名家らしくなると言うものなのである。
ところが、相続というのも3代で何もなくなるという税制である事から分かるように、3代目で粗方潰れる。
4代以上続くと言うのが本当に希有であるから、やはり「仕来りの出来た名家」というものは中々生まれないものなのである。

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